私が高校生の時、珍しく御袋とスーパーへ買い物に行った。
すると真っ先に野菜コーナーの見切り品のコーナーへ行き、安くなっている野菜を沢山買い物籠に入れた。
私は思春期、「見切り品」を買う御袋が恥ずかしく見えて・・「みっともねーなー、ちゃんとしたの買えよ」と言った。
すると御袋が確か・・「何言ってんの、まだまだ料理すれば美味しく食べれるでしょう」と言ったように覚えている。
その頃我が家は火の車。おやじの収入もほとんど無く、家で作っていて在庫を抱えた、今で言う布製のエコバックみたいのを、御袋が1件1件家を回って売り歩いていたり、出店を出して売っていたりした。
そんな中でのやりくりを、一緒にスーパーに行った事で私は思い知った。「すまない」という言葉と「どうしてこんな家なんだ」という心の葛藤があった。
おやじはぼんぼん育ちの味にうるさい人間で、そんなある日晩酌をしながら、「なんてまずい胡麻和えなんだ」とほうれん草の胡麻和えにけちをつけ、その料理につばを吐き「こんなまずいもの食べるんじゃない」と、私の物まで取ろうとした。
「うるせーなー、どうってことねーだろう」とおやじと胸倉を掴む喧嘩となって、御袋が止めに入り「私の作ったのがまずかったのがいけなかったんだから喧嘩しないで」と言ったのを覚えている。
おやじは毎日だらだらと長い晩酌、いちいちの注釈。御袋はそれを聞かされながら、食べ終わるのを待っての毎日遅い時間の後片付け。そんな日々を毎日見ていて、いつしか誓いをたてた。
「私は出された物を有難く、文句を言わず頂く」「残さない」「晩酌はしない」
そんな中、家庭の事情もあり進学校にもかかわらず、チェーンスーパーへ就職。
数年がたった頃「見切り品」という言葉になんとなく抵抗があったある日、青果の責任者だった私の発注ミスで輸入アスパラガスを大量に仕入れてしまった。
アスパラはトウモロコシと同じで、採った時が一番美味しく、熱を出しながら、どんどん旨みがなくなってしまう商品。それでいて大量に売れる商品でもなく、日に日に劣化していく。
勿論、「見切り品」として安く販売はしているが、売れなかった。
まだ在庫があり数日で売れなくなってしまう。このままだと大量の廃棄ロス。
こうなったらお客様にお願いしようと、POPに「自分のミスで大量に入荷してしまいました。今でしたらまだ美味しく頂けますし、とてもお安くしてあります。申し訳ありませんが、買っていただけないでしょうか。」とPOPに大きく書いて見切る時と一緒の値段で出した。
すると見る見る間に売れて、多少マイナスは出なかったものの廃棄ロスにはならなかった思い出がある。
お客様に本当に救われた気持ちで一杯でした。
その後直ぐに、その事を知ってか知らずかは、分からないですが、そのチェーンストアーから「見切り品」の呼び名が消え、「お値打ち品」と変わった。
食品での「見切り品」という呼び方、本当は良い呼び方ではないような気がします。お客様側よりも店側から見た言い方で、「見切って安くしたんだから買ってくれ」と言われているような気がします。
本当は担当者や店側の責任で廃棄ロスにつながるところを安くして、廃棄を避ける手段なんですから。
お客様だって買いたいけど見切り品のPOPが付いていると、なんとなく手を出しにくかったり、「見切り品ばかり籠に入ってる」とは思われたくない人だっていると思うんですよね。もう少し「配慮」があってもと思うのです。
そんな私も今はスーパーとは無関係な人間。共稼ぎなので早く帰る方が食事の支度をするので、しょっちゅう買い物に行きますが、「見切り品」大好きです。
先日も夕方、鰤釜2枚で680円の定価に半額シールが貼ってあったので買ってきたところ、カミさんが「買ってくれー!って言ってたの?」(良い物が安く売ってると「買ってくれー!と言っていたので買ってやった」とカミさんによく言うもので)と聞かれてしまいました。
「見切り品」でも塩焼きにして大根おろしと醤油で美味しーく頂けましたよ。
「見切り品」て、買ってあげないともったいないような気がして、ついつい手が出ちゃうんですよね。
物がどんどん値上がりしているこの御時勢、見切り品を大いに役立てましょうね。
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